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嫌だったことを、嫌だっただけで終わらせない|ブログを書くことで変わったこと

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こんにちは、Wamiiです。

嫌なことがあったあと、その場はもう終わっているのに、頭の中ではずっと続いていることがあります。

ごはんを作っていても、仕事をしていても、頭の片隅になんとなくモヤモヤが残っている。

しかも、

「そういえば、前にもこんなことあったな」

と、関係のない昔の出来事まで引っ張り出してきてしまう。

私は一度こうなると、自分で気持ちを切り替えるのがあまり得意ではありません。

以前は、時間が経ったり、何か楽しいことがあったり、別の出来事が起きたりして、自然と気持ちが切り替わるのを待っていました。

でも最近は、少し変わりました。

「これ、ブログに書けるかもしれない」

と思うようになったからです。

目次

「ブログに書くなら」と考えてみる

もちろん、嫌なことが起きてほしいわけではありません。

嫌だったことは普通に嫌だし、モヤモヤしている最中はできれば早く忘れたいです。

それでも、

「これをブログに書くとしたら、私は何を書くんだろう」

と考え始めると、ずっと同じところを回っていた頭が少し動き始めます。

少し前にも、誰かとのやり取りをあとから思い返して、

「あの言い方でよかったかな」

「相手を不愉快な気持ちにさせていなかったかな」

と気になったことがありました。

自分の言葉が違う意味で伝わって、その人の大切な時間を嫌な気持ちで使わせてしまったら、それも嫌だなと思いました。

私はもともと、相手がどう思ったかを考えすぎるところがあります。

「こう受け取ったかもしれない」

「本当はこうしたほうがよかったかも」

そんなことは、自分で十分すぎるくらい考えています。

むしろ、相手の考えばかり拾って、自分のことがよく見えなくなってしまうこともあります。

今回も最初はいろいろ考えました。

でも、自分だけではない視点も入れながら考えていくうちに、

「むしろ、普通に接したことがよかったのかもしれない」

と思えるようになりました。

それが正解だったかどうかはわかりません。

でも、自分の中ではそこでひとつ答えが出た。

ずっと回っていた、ぐるぐるのルートが一回終わった感じがしました。

誰かが読む文章だから、自分のことも見えてくる

ブログは、自分だけが読むものではありません。

誰かが読むと思うと、モヤモヤした気持ちをそのままぶつけるわけにはいかないので、

「相手だけを悪者にしていないかな」

「自分の見方だけで決めつけていないかな」

と考えます。

それと同時に、

「私はどうして、こんなに引っかかったんだろう」

「この出来事から、何を持って帰ろう」

とも考えるようになりました。

そうやって文章にしていると、「嫌だった」で止まっていた出来事が少しずつ違って見えてきます。

最近書いた「Am I AI?」もそうでした。

人とのコミュニケーションで感じた違和感がきっかけだったけれど、書いていくうちに、「じゃあ私は、人にどう接したいんだろう」というところまで考えることができました。

「私も、もう少し自分に気を遣っていい」という記事も、うまくできなかったことを気にして、自分を責めていたところから始まっています。

そこから、

「人にはこんなに気を使うのに、自分にはずいぶん厳しいな」

と気づきました。

どちらも、最初にあったのはモヤモヤです。

でも書き終わる頃には、自分なりにひとつのところまで考え終わっていました。

嫌なことを「いい経験」にしなくてもいい

だからといって、

「嫌なことも全部、成長のために必要だった」

と思いたいわけではありません。

嫌だったものは、嫌だったでいいと思っています。

ただ、

「じゃあ、この出来事から私は何を持って帰ろう」

と考えてみる。

こういう見方もできるかもしれない。

次はこうしてみよう。

前より少し、自分のことがわかった。

そこまで考えられると、モヤモヤが全部消えなくても、だいぶ楽になります。

私にとっては、それで十分です。

そこで一度ぐるぐるを終わらせて、次のことに切り替えられるからです。

AIには、相手ではなく「私のほう」を見てもらう

こういう記事を書くとき、最近はAIにもかなり話を聞いてもらっています。

AIに相談するというと、

「相手はどう思っていると思う?」

と聞いているように見えるかもしれません。

でも、私の場合はむしろ逆です。

相手のことは、自分で十分すぎるくらい考えています。

AIに客観的に見てもらいたいのは、私のほうです。

「これ、私が気にしすぎてる?」

「自分を責めすぎてない?」

と聞くこともあります。

それが記事になったら、今度は、

「相手だけを悪者にしていない?」

「この言い方は強くない?」

「感情的になりすぎていない?」

「個人がわかるような情報は残っていない?」

というところもチェックしてもらいます。

自分の文章を自分だけで読んでいると、どうしても気づけないことがあります。

特に、自分自身がモヤモヤしている出来事ならなおさらです。

だから一度、違う視点から見てもらう。

そのうえでもう一度自分で読み直して、「これなら大丈夫」と思えたところで公開しています。

AIを使っても、自分の言葉は残したい

AIを使うようになって、もうひとつ気づいたことがあります。

文章を整えてもらいすぎると、

「なんか、これ私の文章じゃないな」

と感じることがあるんです。

きれいにまとまりすぎていたり、優しすぎたりして、「普段の私ならこんな言い方しないな」と思うこともあります。

ちゃんとした文章にはなっているのに、自分が書いた感じがしない。

それはちょっと違うなと思っています。

AIは便利だし、これからも使います。

でも、体験して、モヤモヤして、そこからいろいろ考えたのは自分なので、最後はやっぱり自分の言葉で残したいです。

だから最近は、AIに整えてもらって終わりではなく、そこからもう一度読んで、自分が普段使う言葉に戻すことも大事にしています。

自分一人の頭の中だけで、解決しなくてもいい

ブログを書くようになって、これは結構大きな変化でした。

以前の私は、モヤモヤしたら自分の頭の中でずっと考えていました。

でも、考え続ければ答えが出るとは限りません。

私の場合はむしろ、考えれば考えるほど別のモヤモヤまで連れてきてしまうことがあります。

だから最近は、何らかの形で一度アウトプットすることが大事なんじゃないかと思っています。

日記に書くだけでも、頭の中にあるものを言葉にすることで整理できることがあります。

そして、自分一人では同じところを回ってしまうときは、気の置けない人に話してみたり、AIに話してみたりして、自分以外の視点を入れてみる。

そうすると、

「私、そこが嫌だったんだ」

「そこまで自分を責めなくてもよかったのかも」

と、自分だけで考えていたときには見えなかったものが見つかることがあります。

全部きれいに解決しなくてもいい。

「私はこう考えることにしよう」

までたどり着けたら、それだけでもずいぶん違います。

嫌だったことを、嫌だっただけで終わらせない

今も私は、考えすぎるし、モヤモヤもします。

そこはたぶん、そんなに変わっていません。

でも、自分で気持ちを切り替えられず、何か別の出来事が起きるのを待っていた頃とは少し変わりました。

今は、自分からひとつ出口を作れるようになりました。

私にとって、その出口のひとつがブログです。

自分が悩んで考えたことが、どこかの誰かに届いて、

「私もそれでモヤモヤしてた」

「そういう考え方もあるのか」

と思ってもらえたら、それもうれしい。

嫌だったことを、無理にいい思い出にしなくていい。

なかったことにもしなくていい。

そこからひとつ、自分が少し楽になれる考え方を持って帰る。

そして、できるなら、それを誰かにも渡してみる。

嫌だったことを、嫌だっただけで終わらせない。

最近の私は、そんなふうにブログを書いています。


Wamii

今日もぼちぼち、マイペースにね。


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